2018年2月5日月曜日

CO2削減による温暖化防止を唱える人達が愚かである理由

ここでは「CO2が温室ガスとなるので排出を規制して温暖化を防止しよう」という温暖化防止論者が間違った考えを持っていることを述べるが、テクニカルイシューとして、気温と二酸化炭素濃度のグラフが一致していないとか、太陽黒点の動向にもっと影響されているとか、そのような浅いレベルの事項をここで述べるつもりはない。もっと深いレベルの根本的な人間としての愚かさをここで以下に説明する。

即ち温暖化論者の愚鈍は:
1.未知の将来に対する対処の仕方を知らない愚鈍: 色々な予測があって将来が未知である場合に、人間が取る正しい方法は、何が来てもなるべく被害が少なくなるように「様々な」手を打って対処することである。総合的にリスクを軽減することである。温暖化論者は一方向にだけ突き進むことが非常にリスキーであることが判っていない。人類は旱魃や寒冷化だけでなく台風、地震、洪水、豪雪など種々の自然災害を夥しく経験してきた。それらに対処する方法は何が来てもそれなりに大丈夫であるシステムを作ることである。地球の変化を止めるという大それたことを考えずに、「変化に対応する」という態度が重要。松下幸之助氏も言っている。「こけたら立ちなはれ」「雨が降ったら傘をさす」。だから、様々な「雨傘」を用意することこそが大切。雨が降らないように雲を蹴散らそうと思うことではない。

2.人類史を理解していない愚鈍: 温暖化と寒冷化とどちらが人類にとって危機的であるかという地球人類史を解っていない愚かさ。寒冷化は人類や生物にとって非常に大きな打撃である地質学的証拠、歴史学的証拠は沢山ある。温暖化は歴史の上では生物および人類には概して繁栄をもたらしている。人類史は大きな気候変動を幾度も経験してきた。二酸化炭素をどうこう言わなくても、暑くなる時も寒くなる時もあり、その度に人類は多大な犠牲を払ってきた。だから、暑くても寒くても水が多くても少なくても何とかするという全方位的変化に対する対策方法を追及するのが本筋である。温暖化論者はその本筋が見えていない。

3.100年単位での災害の全体像が見渡せない愚鈍: 100年スパンで日本の災害を見ると、地震、津波、噴火等の地殻変動による大災害があることは明らか。自然災害防止という観点からは、確実に訪れるそちらを先ず優先すべきである。来るか来ないか判らない異論の多い予測に基づいたあやふやな議論を「これ一筋」と信じ込んで突き進むCO2論者の視野狭窄は救い難い。

4.環境破壊の全体像が理解できない愚鈍: 温暖化防止より砂漠化防止の方が自然破壊を止める喫緊の課題。先ずは砂漠化防止というのが通常の良識のある人間の考え方。一番の環境破壊とは植物の駆逐であることを理解できていない。ナイル川にも、チグリスユーフラテスにも、インダス川沿いにも、植物が満ち溢れていた時に繁栄していたことを温暖化論者は知らないのだろう。何故それが砂漠になったのかも知らないのだろう。

5.植物の生態を知らない愚鈍: CO2増加も気温の上昇も植物の生育にとってはプラス方向に働くことは非常に明らかな事実。現在のCO2濃度は地球史上最低の0.04%。植物が地上を覆っていた中生代(ジュラ紀、三畳紀等)は現在より一ケタ以上高濃度、そして高温だった。もしも温暖化するのなら、温暖な気温とCO2の増加とを利用して植物の生育を促進するというのが本来やるべきこと。その基本事項を理解できない愚かさ。

6.自然環境エコロジーを理解できない愚鈍: CO2を「人間がコントロール出来る」という傲慢。CO2は古い地質時代には百気圧以上あったものであり、それが減少したのは海水や岩石や夥しいバクテリアの力等による自然の巨大な力。それを、矮小な人類が出す量を少し減らせばそれだけCO2が減ると思う近視眼的愚鈍。自然はもっと大きなバランスを保っている。人間だけが創り出していたフロンとは全く話が違うことに気付かない愚かさ。

7.世界の国家の見方に関する愚鈍: 中国、インドやアジアアフリカの新興国ではエネルギーの消費の増大が即生活レベルの向上であり、エネルギー消費を減少させることはこれらの国の人々に対する人権侵害とも考えられる。新興国のエネルギー消費増大欲求は止められない。実現性が乏しくしかも人権侵害とも考えられる規制をかけようと意図する条約には、新興国は協力しない。温暖化防止論者は世の中が見えない愚鈍なだけではなく他人を幸せから遠ざけようとする冷酷な性格かもしれない。

8.学者のポジショントークが理解できない愚鈍: 学者は良心の底から誠実なことを言う人々とは限らない。どうしても、研究費の出るほう、学会中の力の強いほうに靡(なび)いてしまう。温暖化するのでその程度を調査しましょうと言うと金が出る。温暖化しないと言っても誰も金を出してくれない。温暖化しないと言ったら異端児として学会から敬遠される。原子力村や憲法学者村と同様、気象学者も所詮サラリーマン根性であり、小さな「村」の住人である。このごく常識的な事実が理解できていない。

以上のように、温暖化防止論者は数々の面で人間として愚鈍である。