以前より「こちらコーヒーになります」などの店員の言葉に対して、「いつコーヒーになるの?」「もうなってるけど?」などのツッコミが日本全国であった。その続きとして、レジで金を払うと「領収書をお返しします」との店員の言葉があり、「領収書を『お渡しします』だろう?」「領収書は店側が発行したものだから、領収書を『返す』のは、客の側だ」というツッコミがあった。現在は、「コーヒーになります」の言い回しはピークに比べてかなり下火になってきた。しかし、「領収書をお返しします」は健在である。そもそも、「領収書をお返しします」の前段階として、「お釣りをお返しします」という表現がある。支払いの為に渡された金に対してお釣りを『返す』という表現は適切なのだろうか。これは、暗黙のうちに通常の(正しい)日本語となっているように思われる。しかし、お釣りも領収書と同じく店側が初めて出すものであり、正式に言うと店側が『返す』ものではない。「釣り」という言葉の中に返却の意味が既に内在しているので、「お釣りをお返しします」という表現は「馬から落ちて落馬する」という表現と同じこととなり、日本語として間違いである。
間違いであっても、だんだん人口に膾炙され広まっていき、最終的には正しい用語となるのが日本語というものである。そこで、「コーヒーになります」「領収書をお返しします」をどんどん使っているのが誰であるか注意して見てみると、主に若い人であることに気付く。若い人は良いものも悪いものも次々と受け入れていく。言葉を変えて言うと、若い人のほうが年寄りよりも「包容力」があるのである。年寄りは「あれはダメ、これはダメ」と言うばかりだ。私も年寄り。
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